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75品目:あなたを捧ぐウエディングケーキ ~ファーストバイト~

last update Last Updated: 2025-06-20 11:00:03
 白仮面の若い男が現れて、入刀されたケーキから二皿分を取り分けた。そのうちのひと皿を純白のタキシードを着た男が手に取り、フォークでひと口分掬って僕の口元へと差し出す。

「……え、何です?」

 僕が不思議に思って尋ねると、男は穏やかに返す。

「ケーキ入刀後の恒例だよ。ファーストバイト。新郎新婦が互いにケーキを食べさせ合う儀式だ。これもエルドリスでなくきみがやるんだろう?」

「もちろんです」

 そう答えつつも、初めて聞くファーストバイトという言葉に僕は少し戸惑った。食べさせ合うだなんて変な感じだ。

 僕はもうひと皿を取り、同じようにフォークでひと口分を掬って男の口元へ向ける。

 男が僕の持つフォークにかぶりついた。僕も真似をして、男の持つフォークを口に入れる。

 こういうのを信頼のない者同士でやるのは怖いものだなと思った。だって相手はフォークを少し動かして、僕の喉を突くことだってできてしまう。

 フォークがゆっくりと引き抜かれる。僕も男の口からフォークを引き抜く。

 咀嚼して、口内に広がったのは、想像を遥かに超える美味しさだった。さすが、エルドリスが作っただけある。ホイップクリームは甘すぎなくて食べやすく、スポンジはふわりと軽い。中に挟まれたフルーツの食感と甘酸っぱさがいいアクセントになっている。

 舌の上で味わいながら考える。このケーキには本当に、イルゼフォリアの胞子が見せる、"殺したいほど愛しい人"の幻の血肉が含まれているのだろうか。そんな異質な味も臭いもまったく感じない。

 しかし、どうしても気になっていることがある。エルドリスの行ったデコレーションの終盤、僅かな間だけ自分にも見えた、碧い光彩を持つ目玉。あれの持ち主が自分にとって"殺したいほど愛しい人"なのだとしたら、それは――

 僕は目を閉じて深呼吸をした。もしこのケーキが本当にその人物の一部を含んでいるのなら、その記憶が再生できるかもしれない。

 口の中のケーキを、もうひとつの胃――識嚥《シエ》へと落とした。

 そして自分も闇の中に落ちる。真っ暗闇で光が明滅し、僕の思考を誰かの記憶が奪っていく。

―――――

 夜の街道。

 大雨が降っている。

 びしょ濡れで冷たい。

 息を切らして走る。

 心臓が破裂しそうだ。

 引き裂かれた女の腹。

 内臓がほとんどない。

 肋骨に守られた心臓と、潰れた肺と、千切れた腸の一
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     観客たちが次々と席を立ち、座席横から伸びる通路の奥へと消えていく。 やがて観客席はもぬけの殻となった。 男がパチンと指を鳴らす。 するとエルドリスと僕のドレスは元の白いエプロンに戻り、それぞれが着ていた黒のコック服と看守の制服も元通りになる。 男がエルドリスに向き直った。「お疲れさま。素晴らしい調理だったよ」「それはどうも」 エルドリスが形式ばかりの会釈をする。「……やはり、きみとケーキを切りたかったな」「ただのごっこ遊びだろう」「心外だね。初めてきみの料理を食べた日から、きみのことを忘れたことはないよ」 エルドリスの目が探るように男の白仮面を見る。だが男の表情を窺い知るのは難しい。「店に来た客か?」「いいや、セリカは遠いからね。それよりも、心当たりがあるだろう?」「まどろっこしい言い方はよせ。お前は誰だ」「このケーキも絶品だった。できることなら観客たちに分けたりせず、独り占めしたいくらいだ」「質問に答えろ」「あの拘束台の上、私の目には誰が映っていたと思う?」「興味はない」「きみだよ、エルドリス。ああ、やはりきみは、生きていても死んでいても美しいな」「……変態め」「きみが言うのかい? 私ときみとの違いは、口に出して言うか言わないかの違いだけじゃないか」 男はウエディングケーキの最上段に手を伸ばした。 僕にもはっきりとソレが見えた。 男の指が、碧い光彩を持つ目玉を掴み取り、口へと運ぶ。ねっとりと、味わうように顎を動かす。「もっと早くにこうしたかった。反対する側近たち

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